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2013年5月27日 (月)

金閣寺

「おーいお前ら、金閣寺なんか、行くなよ…」

Cimg1289今からもう25年も前になろうか、中学の修学旅行での話。
東京では、修学旅行といえば、ド定番の京都・奈良。
そして、私の年代ではそろそろ、「ご一行様」から「班行動」で見学するのがトレンドになってきていた。
これは、6人程度の班ごとにあらかじめ下調べや準備をして、行きたいところやルートなどを計画し、それに従って行動をするというもの。

自由行動といえども「勉強」で行くので、基本的に寺社仏閣しか巡れなかったし、
事前に計画表を作って先生の許可をもらわなければならなかったから、なんでもアリというわけではなかったけれど。
自分たちで計画し、自分たちだけで、しかも初めての場所を行動するというのは、当時の私たちに非常にエキサイティングな、ドキドキ・ワクワクの体験だった。

さて、当時の学年主任は、あと数年で定年を迎える「イクジイ」というあだ名の社会科教師だった。
最近、孫の面倒を積極的にみるじいちゃんのことを、育児+爺で「イクジイ」と呼ぶのだそうが、
そういう意味では我々はすでに、時代の最先端を見越していたわけダ!
(ちなみに、当時はもちろんそんな意図はなくて、単に名前の一部をとってあだ名にしていたのだけど。)

イクジイは、風流を好むセンセイだった、と思う。
冒頭の、「金閣寺へなんか、行くなよ…」というせりふは、イクジイによるもの。
キンキラキンで悪趣味なだけ、とか、どうせ行くなら銀閣だろう、とか、
あんなのは田舎者のお上りさんがアリガタがるものだ、とか。
(ちなみにイクジイはよく、私たちのことを田舎者と言った。
東京でも多摩地区とよばれるこの地域は、たしかに昭和40年ごろに急速に団地ができてベッドタウンになるまでは、トトロが出没し狸が合戦をしているようなド田舎だった)
言い方は、高圧的なというよりは、アンニュイな感じで、気怠いというか物憂いというか。
独特の「間」と雰囲気のある話し方をするのも、生徒に人気があった理由なのだと思う。

まじめに足が生えたような私は、その言葉をまともに受け、
「金閣寺なんか、行くものか!」と堅く心に誓ったのだったが…。

そうなると、逆に
「金閣って、実際どうよ?」と気になったりもする。
見たらだめ、と言われると見たくなる。田舎者で結構、と開き直りもする。
平成6年には世界遺産にも登録されている。多くの外国人が見に来るのに日本人である自分が見ないなんて…。

…と、なんのかんのと理屈をつけて、とうとう行ってきました。
百聞は一見にしかず。
うん。
写真やテレビなどで見たとおりの、金閣でした。
すごいなー。
派手だなー。

そして、観光客がとにかく大勢、来ておりました!
修学旅行にチャイニーズにコリアンにアメリカーナ(?)に熟年ツアーと多種多様。
人の頭越しに写真を撮る感じでした…。

Cimg1285 Cimg1296
写真左: ほぼ正面から。池の無効に浮かぶ金閣
写真右: 金閣裏側。建物を遮っている松の木を敢えて入れてみました。

中尊寺金色堂しかり、秀吉の黄金の茶室しかり、東大寺の仏像が昔金ピカだったこと等々を思うと、
日本人の心には、「ゴールド」を至上最上の美と考え、建築物を金で飾るという美意識が、確かにあったのかな…などと、モットモラシク思ってみたり。
(あるいはゴールドが好きなのは世界共通で、日本人もまたその例外ではなかったと考えるべきなのか…)
それにしても、これだけ大量の金を屋外に野ざらしにして、夜中に侵入者に剥がされたりしないのかな…と、ツマラン心配をしてみたり。

正直、この後「何度も見たい」とは思うような感覚は湧かなかったけれど、
とりあえず、一度この目で見ておいてよかった、という自己満足。
中学の修学旅行で来るよりかは、今になって来てみて良かったのかな。
もしかしてイクジイは、そのあたりのことも、ちゃんと計算済みだったのかも知れない?!

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